宇宙の産み落とした私生児

とよかわの西洋占星術について考えるブログ。鑑定依頼は件名「鑑定依頼」でこちらへ→astrotoyokawa@gmail.com

金星はどこへ行くのか/フェミニズム占星術序論

 個人的な話から始めて恐縮ですが、私が初めてフェミニズムに触れたのは、14歳のとき、田嶋陽子さんの著した「ヒロインは、なぜ殺されるのか」という本がきっかけだった。およそ18年ほどたって、私はささいなきっかけで西洋占星術に興味を持ち、学び出すはこびになった。
 一見正反対なんじゃないかってほど、この二者は遠いもののように思える。
 でも、ひたすら自分のことを掘り下げて心や体の性質に向き合い、調べることができるこの占星術というものを、私はまずセルフケア、セルフカウンセリングのツールのように受け取った。
 女性はセルフケアを阻害されている。
 なぜなら女性とは、他人の世話をするために生産されている性別である。男や子供や老親など、他人の世話をするかぎりと、条件つきで存在を許されている。そこで女性自身が自分の心や体に関心を向けて、自分で自分の世話をすることはただのリソースの無駄づかいなので、あらゆる手段で積極的に妨害される。
 一時期ブームになった「自分探しの旅」や「ていねいな暮らし」も、羨望まじりの激しい揶揄とバッシングを受けたが、どちらも女性のためのセルフケアの方法論だったからというのがあんなに叩かれた理由のひとつだろう。
 女性のセルフケアはただそれだけで反体制的であり、忌むべき挑発的な反抗であり、フェミニズム的である。
 だから私は、占星術フェミニズム的であるととっさに感じた。

 あの時代、私は熊に腹をえぐられたくらいの激しい痛みに涙を流しながら、救急センターの待合室の椅子に横たわっていた。なぜ私の排卵痛がそこまで激しいのか誰にもわからなかったし、また医者たちの興味の範疇外だった。
 私は8年半ほど精神疾患をわずらっていたが、そのような他人のケアを必要とする女性に対する世間の反応は、「お前は不要」か、「無視」か、「与し易し」だった。
 救急センターで絶望しながら、私は私の世話をやく人はこの世のどこにも居らず自分しか居ないのだと、やっと理解した。アルコール依存症患者の底つき体験のようだった。

 もうひとつ、私が占星学をフェミニズム的であると感じたのは、アンチ・ジェンダーだから。
 古くは古代メソポタミア文明にも痕跡があり、数千年つづくこの学問体系においては「太陽、火星」は男性天体で男性性の象徴、「月、金星」は女性天体で女性性の象徴である。(この男性性、女性性という呼び名が差別的だと待ったをかけたい方は、どうか少し辛抱して頂いて、後の記述を読まれたい)
 当然だがすべての人がすべての惑星を出生チャートに持っていてそのエネルギーの影響下にいる。だれもが男性性と女性性をあわせもっていて、精神的に100%の男も100%の女もいない、「男性脳・女性脳」も「心の性別」もない。出生チャートでふつう男性は男性天体の影響が強く、女性は女性天体の影響が強いとされるのは、たんにジェンダーによる社会からの要請でその特性が鍛えられ、伸ばされるからである。ピアニストの指は生まれつきでなくピアノを長年弾いているから、長い。
 占星学や錬金術プラトニズムに没頭し、影響を受けたユングは、こう提起した。男性は女性性を、女性は男性性を、無意識のしきい下に抑圧する。社会がそのように教育するからである。抑圧された男性の内的女性はアニマ、女性の内的男性はアニムスと呼ばれ、知らず知らずのうちに他人に投影(projection)してしまう。その性質を表現することができず抑圧されたアニマ及びアニムスは、その人自身の〈けしてかなえられない、見果てぬ夢〉のようなものだ。投影により他人に仮託された結果、その性質を自由に表現する他人に激しく惹かれるか、もしくは激しく嫉妬し憎悪するなど、執着せずにはいられない。たとえば何故かいつも暴力的な男ばかり恋人に選び、毎回のようにDVを受ける女性がいる。恋人に一度も殴られた事など無い女性もいるのに、何故彼女だけがいつもそのような男に惹かれてしまうかといえば、彼女自身が内なる攻撃性を激しく抑圧しているから、かなえられない願望をかなえてくれる存在が魅力的に感じ、引き寄せられてしまうと分析できる。
 脱線が過ぎたようだが、とにかく生まれつき男は男らしく、女は女らしく、なんてことはありえずすべての人が男性的でも女性的でもあるという考えは、ジェンダリズムを解体するための大きな手助けになると感じた。
 フェミニストを名乗る人のなかには男性なみの人権の獲得を目指すあまり、自分の女性性を否定したり、男性的なことばかり持ち上げて男性を人間の標準だとみなす者もいるが、それは間違いであり、男性の仕掛けた女性性蔑視(ミソジニー)に同調してしまっているだけである。

 では、ジェンダーとは、ミソジニーとは何か。男性性と女性性とは何だろう。その起源はなんなのか。
 その答えも実は占星学のなかにある。
 まず占星学において、簡略化して説明するとアニマは金星、アニムスは火星にあてはめられることが最も多い。

 火星 ♂️マーク。軍神マルスの星。男性原理。積極性、強さ、攻める・狩る快楽。恋愛におけるアプローチ方法。他者への性的欲望。
 金星 ♀️マーク。愛と快楽の神ヴィーナスの星。女性原理。受動性、かよわさ、受け身で愛される・狩られる快楽。着飾る喜び。社交。遊び。恋愛において、されたいアプローチ方法。芸術、美術、美意識などの、生存には無駄だが文化的なもの。性的に欲望されたい欲望。甘いもの、お菓子。レジャー、ぜいたく。

 かんたんに言うと女性ジェンダーとは男性全体が女性全体に投影、つまり外部委託したアニマの形である。

 多くの先進国は現在、男性が男性原理によって支配している。何故なら近代化は合理主義によってなされ、合理主義こそ男性性の産物そのものだからだ。わたしたちの生きる社会で称揚・推奨されるのは男性性、火星の領域ばかりである。
 しかし誰にも、金星がある。マッチョイズム(男性性賛美)の行き過ぎで、世界はいま病んでいる。オオカミのようにヒツジを狩る喜びは、イコール男の喜びだからもちあげられるが、ヒツジ側の、狩られ、なすすべなく噛み殺される快楽は、秘匿されおとしめられる。男らしくないからだ。
 歴史において、男性たちは、火星的であり推奨される性質を「男性性」と名づけるとともに、金星的=男らしくないから直視したくない後ろ暗い欲望のことを、「女性性」と名づけ、それはいやしい身分である女が生得的に持っている性質であり、男とは関係ないものだと、バッサリと切断する欺瞞をおこなった。
 鏡を見てきらびやかにおしゃれして、お化粧をして、不特定多数にちやほやされたい。愛されたい。強引にでも、性的に求められたい。甘くてかわいらしいお菓子を片手につまみながら、優雅におしゃべりに興じたい。
 これらは、本来誰もが持っている欲望だが、金星を抑圧されている男性たちは素直に表現もできない。
 それをみずから女性に仮託し、汚れ仕事をアウトソーシングしておきながら、「女はずるい」と、羨望と嫉妬を向け、憎悪する。
 これがミソジニーの正体である。ミソジニーの本質は、金星=アニマの抑圧による嫉妬である。ジェンダーは、女性というごみ捨て場に男たちが捨てた壮大なフィクションであり、彼らにとっての劣等人種に押しつけておきながらも追い求めてやまぬという非常に矛盾した〈見果てぬ夢〉なのである。
 英語のvirtueが「美徳」を意味することもその傍証となる。何故ならvirtueの語源はラテン語の「男らしさ」である。古代ローマの人々は男らしさとはそもそも人間本来に備わっている、もしくは獲得すべき美徳とイコールであり、現在言われる「男らしさ」「男性性」とはニュアンスが異なっている。
美徳がイコール男らしさなら、もちろん对概念の悪徳は女らしさだ。
 ひとことでまとめると、人間の持ついろいろな性質のうち、美徳だけが「男のもの」と分類され、悪徳は「女のもの」と封じられた。これが「男性性」「女性性」の起源である。
 トキシック・マスキュリティ、有害な男らしさという新語がある。行き過ぎた男らしさが暴力や性犯罪などを生む弊害についてスポットをあてた語だが、「では有害な女らしさもあるんじゃないか?」という声を聞くことがある。しかしそもそも、女らしさイコール悪徳なのだから、有害と思われていた歴史がある。

 世界的に「ジェンダーレスファッション」のブームだから、いっちょ噛みで追随したのだろう。元々ファッションの一種として女性が男性的な装いをするのは、メンズライクとかマニッシュとかマスキュリンとか、こんなにたくさん名前があるほどふつうのことで、男性が男性のままあたりまえに女性的な装いをすることこそ革命的なことで、ジェンダーレスファッションブームのキモだ。
 この「性別のない服」は性別が無いのではなく、金星が殺されていて、ここに無い。女性も男性のような服を着て、男性は男性のままで、何か世の中よくなるのだろうか。
 自分は化粧するのもおしゃれするも好きではないという女性も存在するし、気分によっては着飾りたい、そうでない時はそうでないという人が、おおむね大半だろう。そういうわけだから女性は着飾りたくない欲望をも認められるべきだが、男性が金星を女性に押しつけて「女は化粧する性別だ」とジェンダーを維持しているかぎり、その欲望は認められない。
 女性も男性に追随して金星的欲望を蔑視しており、その発露の究極が韓国起源の「脱コルセット運動」である。女性たちが、家父長制に反抗するために化粧もおしゃれもやめて男性と同じ装いをする。男性と同じじゃないかといわれると、これは男性の装いでなく、装飾を抜いた、人間として標準の装いだと彼女らはうそぶく。男=人間の標準と定義している。
 先に書いたように金星は生存に関係ないむだやぜいたくをも象徴する。芸術文化に関しても、ある程度人間の心に余裕がないと、つまりむだなものを許容する余裕がないと生まれないし、発展しない。もう数十年もの間、経済が地盤沈下しつづけて、貧困国に転落した日本では、その心の余裕もない。国が豊かになり時代が安定すると、無力なものや弱いもの、かわいいものをそのままで肯定し愛するポップカルチャー(=女性的文化)がさかんになるという説がある。日本はその逆をいっていて、すべてが男性的になっていると感じる。女性や、フェミニストの間ですら、おしゃれや外見にこだわることを恥でダサいとする風潮が広まっている。男ウケファッションはダメ、愛されコーデはダメ。抑圧された女性たちが自己表現のかわりに女体消費のストリップを見に行って、金星を託している。強引なイケメンに少女が押し倒される少女漫画が規制される。いまどきは、BL漫画の中ですら、受けキャラがレイプで感じるのは倫理的によくないのではと女性たちが議論に興じることもある。だれもが金星を殺されている。
 殺された金星はどこに行くのか。
 汚れ仕事の性質がますます激しくなり、アウトソーシングが、投影が、停止されずにいっそう進むだろう。これまでも、投影を引き受けてアニマを演じた女性たちが男社会で居場所を獲得するかわりに、彼らの憎悪のターゲットにもなっている。このままだとそれは加速する。女性アイドルたち、女性性を背負わされたすべての女性たちが、今後もいっそう苛烈に暴力をふるわれ、殺されつづけるだろう。

 占星術、占星学そのものがフェミニズム的なので、私があえて、フェミニズム占星術を合体させたフェミニズム占星術の理論を構築してみたい…と欲望する余地など、ぜんぜん無いのかもしれません。しかし、私はその両方を学ぶことで、私たち女性がいかに"男性天体"を抑圧されてきたのか、また今度は"女性天体"をも抑圧させられているか、そしてそれらのことが、どれほど私の健康を損なってきたかに気づいた。これは普遍的な現象であると思う。まずは自分の健康を取り戻すために、この二つの学問の融合を考えてみたい。

 プラトンがいうには、アトランティス大陸では、人間は一個の球体であり、男女(おめ)と呼ばれる両性具有の存在だった。しかしあるとき分裂し、男と女に分かれた。男と女は、お互いの生き別れの半身をさがしもとめて、だからこそ、ひかれ合う。
 ここの男と女は生物学の話ではない。内的男性と内的女性の話である。人は誰もが自分自身になろうと目指す。そのためは男性性と女性性を結合させる内なる結婚をしなければいけない。男が、女が、探し求める幸せの青い鳥は、どこにもおらず、ただ心のなかで、あなたが見つけてくれるのを待っている。