宇宙の産み落とした私生児

とよかわの西洋占星術について考えるブログ。鑑定依頼は件名「鑑定依頼」でこちらへ→astrotoyokawa@gmail.com

モダン占星術の意義

 書評を見てわかるように、最近、伝統的占星術にのめりこみ、ホラリーの技法を本やサイトを見て勉強しています。
 知らないことが本当に次から次と出てくるし、リーディングもかなり厳密。占星術を知ったばかりの頃は、あいまいでアバウトなのが魅力だなあと思っていたけど、それはあくまでモダン占星術に限った話のようでした。

 ネイタルは読めるけどホラリーについてはちんぷんかんぷんという人は、どんな流れかひととおり知るには、朝比奈ジュン氏の初学者向け指南サイトが役に立つと思う。
https://asahinajun.com/cl-horary/

 ただ間違っているのではないかと思う記述も数多い。「人生にはネイタルで表示されていないこと以外も起こる」「同じネイタルでも環境によって違う人生になる」というのは、明確に間違っているので、真に受けないようにしてほしい。前者が真なら、レクティファイという技法が成り立たないし、後者については、そもそもネイタルには生育環境も表示するので、環境が違ったら…というのはありえない。また、「ホラリー占星術は「もしも~したら」という仮定の質問はできない、たとえば、もしも離婚したらどうなりますか?といったような」という文も、かなり詭弁の香りがする。ホラリーでは当たり前に、転職すべきか?とか、この人とつきあっていいか?といった質問に答えるが、これらはパラフレーズすれば、「もしも転職したら状況はよくなるか?」「もしもこの人と付き合ったら幸せになれるか?」といった仮定の質問だろう。いずれもどうも逃げ道というか、クライアントをごまかすための手口という感が否めない。
 さらに自分独自のレセプション技法について、「ある人から伝授された、口伝のみで伝わっているものだ」ともったいつけて紹介しているが、本の形で文字にされた技法でも、年月を経ると誤読や誤訳による伝言ゲーム状態で真偽がわからなくなるのに、何十年何百年と口伝で正確に伝達できるとは考えにくい。正直ハッタリだなと思っちゃいました。なんとなく人として信用しにくいです…。

 ホラリーや伝統的占星術については、ネイタルおよびモダン占星術よりかなりマイナーということで、訳出書も少なくかつかなり高価である。Kindleだと送料も無いし、原書で読んでみようと思い、まず定評のある「The house: temples of the sky」(デボラ・ホールディング著)を購入した。なんと、たったの900円ほど! まだ最初しか読んでいないが、ハウスの象意の成り立ちの起源に迫る濃い内容で、大変興味深く読んでいます。
 
 ところで、伝統派は、モダン派を目のかたきにしている人がとても多い。モダン派は、占星術自己啓発やカウンセリングとごっちゃにし、チャートのリーディングはどうとでも受け取れるあいまいなもので、好きな結論を我田引水に引き出せる、といったように。

 確かにリズ・グリーンの「サターン/土星の占星学」を読んだときは、ずいぶんアバウトだなと私も思いました。1ハウスに土星がある人と牡羊サインに土星がある人が同じとはどうにも考えにくいし(彼女のこの分類はよく批判のやり玉にあがる「ハウスとサイン」の同一化の例である)、そしてこの本を読むと、なんだか生きている人すべてが幼少期に親から深刻な抑圧を受けて育ったように思える。

 それでも私は伝統派の急先鋒が言うように「心理学など学ぶな、ユングなど学ぶな、占星術をそんなものとごっちゃにするな!」というふうには、どうしても思えない。
 17世紀ごろにいちど衰退した占星術復権の背景には、人々が自分の内面に興味を抱きはじめた、いわゆる、よく言われ過ぎて陳腐だけど「心の時代」がやってきたことがあるだろう。人間は自分の肌の外側で起こっていることより、その内側で何が起こっているのか、いわば内的宇宙に目を向けるようになった。
 伝統派の言うように、宇宙はすべて神の設計図どおりに動いているのなら、そういった内的世界への興味の高まり、簡略化によりいったん伝統的占星技法が衰退することもまた、設計のうちなのではないだろうか。

 どうしてこんなに充分に科学が発達したのに、人間は(そして女はなおさら)生きていて苦しいのだろう。知りたいことを教えてくれないからだ。なぜ生きるか、どう生きればいいのか。

 世の中が女の話に耳を貸してくれないのなら、占星術を通しての宇宙との対話が我々を癒すのではないかと今でも思っている。そしてそれは時に、(自動計算ソフトで品位点数を計算して事足りるような)機械的で味気ないホラリーや、血のかよわない伝統的占星術ではどうも片手落ちに感じるのだ。

 いまの時代に生きる大衆の心が何を求めているのか、それに興味を持たずバカどもの言うことなんか知るかと切り捨てるのって、占星術の意義がわからず熱心に否定する近代科学とやってること変わんないのじゃないか?

「お前は細かすぎる」と乙女座を避難する魚座、「お前はいいかげんすぎる」と魚座を避難する乙女座。それら対立概念の矛盾なき融合が、陰陽の合一となり、至高の境地となる。
 それと同じことが伝統とモダンに言えるのだろう。

 そういうことを考えていたら、マギー・ハイド氏の素晴らしい文章を鏡リュウジ氏が訳出しているのを、Googleのいたずらで偶然見つけて、私の考えに近いことが書かれていた。偶然ではないんだと思う。

 鏡リュウジ公式サイト-鏡の視点 心理学的ホラリー(サイコロジカル・ホラリー)
http://ryuji.tv/shiten/?id=24